2008-01-18

ついでがながい

さよならだけが人生だったらかっこいいんだけど行ったり来たりだなあ…と書きかけて、この有名な句の解釈が正しいか不安になったのでググってみた。

一期一会と惜しまずとも自分の執着は去ったと思えば戻ってくる、という意味で使ったのでまあ外れてはいない。
今の自分には寺山修司のアンサー(hiphop風)の方がしっくりくる。くどいけど。

で、ついでに出てきたこのページも真面目に読んでみた。
当たり前過ぎて、なんでこんなんが格言?と思うのもあるが好きなのもあるので書き出してみた。

-死は存在しない。生きる世界が変わるだけだ。(ドゥワミッシュ族の格言)

なんかファンタジック

-お前の人生が戯れにすぎなかったのなら、死はお前にとって真剣事であろう。
だが、お前が真剣に生きたのなら、死はお前にとって一つの戯れであろう。
(クレッチマン)

いいマッチョイズム

-眠い人が眠るように、瀕死の人は死を必要としているのです。
抵抗が間違いで無駄だというときが、いずれきますよ。(ダリ)

訳はともかくシンパシー

-真理は瀕死の人の唇からもれる。(マシュー・アーノルド)

-なぜ死を恐れるのですか。まだ死を経験した人はいないではありませんか。
(ロシアの諺)

ミステリアス

全体の感想としてはキリスト教圏の、神が登場する死生観はピンとこない。
反対に日本人の国民性なのか、その中でも文人という職業柄なのか分からないけど、この悪く言えばなあなあなヌルい考え方は好きかはともかく、しっくりくる。
特に中盤、

-死は救いとは言いながら、そうは悟りきれぬものである。(大佛次郎)

みたいな、生きている間が重要と思い直したような格言が多かった。歴史に明るくないので分からないけどハラキリとか死ぬ事と見つけたりって印象はなかった。

締めはこれかな。

-僕が死を考えるのは、死ぬためじゃない。生きるためなんだ。(マルロー)