2008-05-26

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街中のベンチに腰掛けてスケッチをしていたら、隣りに座った人が覗いてくるので話しかけた。あとで聞いたところでは大正10年生まれの元国語教師で今は書画を教えているそうな。
「太いペンはないか」と訊いてくるので描き進まないスケッチブック(替わりのツルツルの紙。それに油性ペンで描いていた。)といっしょに渡すと、さらさらと句を書き出し「括りの五字を、あなただったらどうする?」と言う。
正直、その句は前向き過ぎるというか、そこまでシンプルになるには自分もこのサイトも煩悩が多過ぎると思うような内容なので割愛するけど、出題されること自体が面白かった。
他にも鬱という字が書けるか、とか音篇に女と書いてなんと読むかとか、問題を挿みながら仕事の話や世間話を聞かせてくれた。
後半は思い出話に入ってしまったので相づち以外選択肢がなく、面倒臭い時は面倒臭いだろうなあと思いつつ全体的に楽しめたのは、俺がこの頃ずっと老人と話したいと思っていたからだろう。

-ここからメモ部分-
自分は何かを知ろうとする時、果てを知りたがる癖がある。
この道具はどのくらい荒く使っても壊れないかとか、この人はどれくらいふざけた話しを聞く耳があるのかとか。
つまらないと言えばつまらないけど自分の様な不安定な人間がそこらを動く為には必要なことなのだ。
(だから何をするにしても初めはとても無駄が多いが、それを気にしてしまうと本当に何も出来なくなるので陥らない様にしたい。)
これが何かに似ているなあと思ったらエコーロケーションで、何らかのテスト信号の様なものを発して反ってきた反応との距離の中でだけ自分は自由に動ける、ということだ。
(イルカやコウモリと同じく、今自分が居る位置から届く範囲での果てなので、本当の果てではない。)

今回の話も同じことで、老人と話すということは「人生ってどのくらいの長さだ、そのスケールを出来るだけ俯瞰で見たい」という俺の不安と欲望がさせたエコーロケーションなのであるにほかならないのであるにほかならない…(エコー)



鬱はヒの部分が分からなかったので98点でした。やさしい。