2008-05-28
2008-05-26
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街中のベンチに腰掛けてスケッチをしていたら、隣りに座った人が覗いてくるので話しかけた。あとで聞いたところでは大正10年生まれの元国語教師で今は書画を教えているそうな。 「太いペンはないか」と訊いてくるので描き進まないスケッチブック(替わりのツルツルの紙。それに油性ペンで描いていた。)といっしょに渡すと、さらさらと句を書き出し「括りの五字を、あなただったらどうする?」と言う。 正直、その句は前向き過ぎるというか、そこまでシンプルになるには自分もこのサイトも煩悩が多過ぎると思うような内容なので割愛するけど、出題されること自体が面白かった。 他にも鬱という字が書けるか、とか音篇に女と書いてなんと読むかとか、問題を挿みながら仕事の話や世間話を聞かせてくれた。 後半は思い出話に入ってしまったので相づち以外選択肢がなく、面倒臭い時は面倒臭いだろうなあと思いつつ全体的に楽しめたのは、俺がこの頃ずっと老人と話したいと思っていたからだろう。 -ここからメモ部分- 自分は何かを知ろうとする時、果てを知りたがる癖がある。 この道具はどのくらい荒く使っても壊れないかとか、この人はどれくらいふざけた話しを聞く耳があるのかとか。 つまらないと言えばつまらないけど自分の様な不安定な人間がそこらを動く為には必要なことなのだ。 (だから何をするにしても初めはとても無駄が多いが、それを気にしてしまうと本当に何も出来なくなるので陥らない様にしたい。) これが何かに似ているなあと思ったらエコーロケーションで、何らかのテスト信号の様なものを発して反ってきた反応との距離の中でだけ自分は自由に動ける、ということだ。 (イルカやコウモリと同じく、今自分が居る位置から届く範囲での果てなので、本当の果てではない。) 今回の話も同じことで、老人と話すということは「人生ってどのくらいの長さだ、そのスケールを出来るだけ俯瞰で見たい」という俺の不安と欲望がさせたエコーロケーションなのであるにほかならないのであるにほかならない…(エコー) |
鬱はヒの部分が分からなかったので98点でした。やさしい。 |
2008-05-23
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2008-05-16
M○THER
MOTHERの最初のやつをやってました。GBA版をDSで。
昔、FC版の説明書ナシの中古を買ってみたものの、淋しいグラフィックと独特の雰囲気に負けてすぐ止めてしまい、サービス満点な2が出てから益々やり辛くなって、以来敬遠していたのです。
いやー 淋しいのはグラフィックだけじゃなかった。
遠出の頼りない気持ちをこんなにリアルに感じられるゲームって他に知らない。延々同じ様な風景が続くフィールドを歩いた後では、町や人物が見えただけでホッとする。初めはバランスおかしいとかボヤいてたけど、終盤になると主人公達に比重傾き過ぎな親切ゲームよりよっぽど好き。
他にも音楽の完成度とか、攻略本(FC版)の気合いの入り方とか色々感心した部分はあるけど、今の自分には特にその何も無い間に因る「遠さ」が良かった。
とはいえ見た目勝負の一枚絵で表現してる人間としてはついついこうやって遊んでしまいたくなるのだった。
xx
※これから純粋にプレイしたい人は見ない方がいいと思います。
創作もちょっと入ってるし。
2008-05-14
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うち(のトイレ)に昔から置いてあった『幻獣辞典』の挿絵を描いている鈴木康司という人が近所の絵本屋で展示をやっていると聞いて散歩がてら観てきた。 自分はこの本のモノクロ絵しか知らなかったのだが現在はスズキコージ名義になっていて、沢山の著作、アートワークとともにカラフルで野性的なファンタジー作品が狭い店内にびっしり並んでいた。 その中のいくつかは額装されておらず、じっと他人の好き勝手作った絵具の隆起を見ていると… 自分の中のややこしい何かが溶けていったような気がした。 その後一眠りしてから、一枚だけ買ったポストカードを見ながら思い返してみると、なるほどこれが絵が欲しくなるという自分なりの感覚か、これは印刷物では味わえないなあと一人納得したのだった。 追記:A4とかF6程度の支持体でもそれより広い空間を描く事が出来る。写実的な奥行きではなく情報の奥行きがあり、配色を含む全ての配置によって視線を反復させるという方法。 |
2008-05-09
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